ゲスト講師 : 学校法人軽井沢風越学園 寺中祥吾さん

tankyu

2020年8月30日(日)10:00〜11:30
「しつもん×探究トーク」第一弾を開催し、400名以上の方にご参加いただきました!
もっともっとたくさんの方に、この対談が届きますように。
 

代表理事 松田充弘よりご挨拶

 
しつもん財団代表理事の松田充弘と申します。
今回のこの企画の背景を少しお話したいと思います。

mihiro

僕たちは15年ほど前から「しつもん」を研究し続けてきました。しつもんは「問い」なんですが、相手に問いかけるというコミュニケーションだけではなく、どちらかと言えば、自分に問いかけることを中心に行ってきました。

「自分と対話する」ということですね。なぜ自分と対話するのかというと、自分の答えを自分で見つける、自分で課題を発見して自分で答えを見つける、ということを大切にしたいなと考えているからです。

生き方・お仕事・コミュニケーション、そう言ったところで自分との対話はすごく大事だと思って行っています。それと同時に教育というか、子どもの段階から学んでいくプロセスにおいて「自分に問いかけて自分で答えを見つける」ことが重要ではないかということで…最初は個人で始まったんですけど、学校でしつもんの授業を行って、先生たちにもしつもん力、どう対話するかということを伝えてきました。

その後、今回の主催でもあります「しつもん財団」ができました。今はしつもん財団として、いろんな学校にしつもんの授業をさせていただいたり、先生方の研修をさせていただいたりということを行っています。

毎年、ちょうどこのくらいの時期、夏休みに全国の先生方を対象にして、最近では200校以上の学校ですかね、幼稚園から小中高、大学、専門学校、塾も含めてですね、先生をご招待してしつもん力の研修を行ってきました。

今年は元々、東京オリンピックが夏にある予定だったので、時期をずらそうと思っていたところコロナになってしまい、どういう形でしつもんを学ぶという機会を作ろうかということをみんなで考えていたところ、学校教育の中で「探究」というものがありまして、そのことについては今日の対談トークの中でも触れると思いますが、そこですごく「しつもん」が重要ということが言われてたので「しつもんと探究」という2つのキーワードで、その専門家の方だったりとか、そのような活動、取り組みをしている方々との対話をしていければなと思っています。

みなさんにどういう気持ちで受講をして欲しいかというと、ただ話を聞くというよりも、この対話の中できっとヒントや学びやインスピレーションが出てくると思うんですよね。それを日々の教育だったりとか、お子さんと接する時に生かしていただければなと思います。

今回は学校教育関係者だけではなく、特別ですね一般の方にも公開してますので、様々な立場の方が参加していると思います。その中でお子さんと関わることもあるかと思いますし、もしくは子どもではなく、例えば部下と関わることもあると思います。そういう時にもきっと、相手に自ら考えてもらうとか、しつもんを活用して解決を導き出すとか、そういうこともできると思いますので、そんな視点で聞いていただきたいなと思います。

僕たちは「しつもん」について伝えてますので、今日も一方的に話を聞いていただくというよりもインタラクティブに進めたいと思っています。時おり「しつもん」をはさんでいきたいと思います。

では、最初のしつもんにチャットで答えていただきたいと思います。
「このしつもん探究トークが終わった時に、どんなふうになっていたら最高ですか?」
ぜひですね、コメント欄から一言でもコメントいただけたらなと思います。

これが分かったらいいなーとか
こんな気持ちになれたらいいなーとか
こんな状態になれたらいいなーとか

どんなことでも構いませんので答えていただけたらと思います。

今、370人くらいの方にご参加いただいてまして、
日本各地、または他の国からも参加いただきありがとうございます。

~参加者の答え(コメント)~

『生徒と安心して答えられるしつもんの仕方が分かるようになりたい』
『今までの自分にはない視点を得られたらいいなと思います』
『探究的な学びを』
『午後に早速授業があります。そこで使えたらいいなと思います』
 ・
 ・
 ・
等々、たくさんたくさん届いてます。ありがとうございます。まだ投稿お待ちしてます。
ぜひね、しつもんに答えるということも今回の中で体験していただけたらなと思います。

ではここから、お二人にバトンを渡します。
よろしくお願いします。
 

<ゲスト講師>

プロフィール写真

学校法人軽井沢風越学園 寺中祥吾さん(アンディ)

「体験から学ぶ」という学習領域を背景に、教育研修関連企業、大学教員を経て、現在は2020年度開校の軽井沢風越学園に所属。ふじしーとは10年来の友人。時々会って話すけれど、今回はみなさんに聞いてもらいながら、もう一歩踏み込んでやりとりできるのが楽しみです!
 

<対談者>

fujisi

しつもん財団理事 藤代圭一(ふじしー)

教えるのではなく問いかけることでやる気を引き出し、考える力をはぐくむ「しつもんメンタルトレーニング」を考案、全国大会優勝チーム、アイスホッケーU14日本代表チーム、さらには地域で1勝を目指すキッズチームまで、数多くの実績を挙げている。現在はスポーツだけでなく、子どもの学力向上をめざす保護者や教育関係者に向けた講演・ワークショップをおこない、高い評価を得ている。著書に『しつもんで夢中をつくる!子どもの人生を変える好奇心の育て方』(旬報社)ほか。

 

メッセージとメタメッセージ

 
藤代圭一(以下、ふじしー):はい、ありがとうございます。よろしくお願いします。先ほどのしつもん、「終わった時に・・・」のしつもんの答えをコメント欄でお知らせいただければと思います。また途中でしつもんなどございましたら、Q&Aの方にお寄せください。

先ほどご質問いただいたのですが、みなさんの顔などは映ってませんので、寛ぎながら安心できる状態でお聞きいただけたらと思います。

簡単に自己紹介させていただきます。藤代圭一と申します。僕自身はスポーツのフィールドをですね、元々サッカーのコーチとして指導していく中で指示命令ばかりしていたところ、子どもたちがサッカーを嫌いになってしまったという経験が多くありまして、その中から、もっといい関わり方はないかということでしつもんを学び始めました。かれこれ10年以上前から学び始めまして、おかげさまで今ではいろいろなところで講演などをさせていただいております。

今日ご紹介するの寺中さんは、10年来の友人で彼自身がやられていた活動にとても共感していて、今はまた別の新しい軽井沢の学校で活躍されているので、そのお話も聞けることをとても楽しみにしています。では、寺中さん入れますか?

寺中祥吾さん(以下アンディ):おはようございます。

ふじしー:おはようございます。では、いつもアンディと読んでるのでアンディと呼ばせていただきますが、簡単に今どのような活動をされているかを教えていただけますか?

アンディ:はい、わかりました。今は長野の軽井沢にある軽井沢風越学園という、この4月に開校した学校で仕事をしています。学校自体は幼稚園から中学校まで12年間の「一貫校」ではなくて「混在校」という言い方をしていて、子どもと大人が混ざって学んでいくという場を本当にこの4月からなので、ゼロから、カリキュラムも大人の働き方も保護者・地域とのつながりも含めてゼロから作っているなぁーというそんな毎日です。その「つくる」ということ自体を、学校の大事にしていることのど真ん中に置いていて「つくる」とか「つくり続ける」ということを、大人も子どももやっていく学校にしようと。そういうふうに「真ん中」に置いて過ごしています。

ふじしー:ありがとうございます。今日は「しつもん×探究」というテーマでお話ししたいんですけど、僕たち2人のバックグランドもお話した方がより皆さんが聞きやすくなるんじゃないかなと思うので、簡単に紹介させてもらうと、元々はアンディがまだプロジェクトアドベンチャーをやってた時に、まぁ、今もやってるかもしれないんだけど、僕が受講生としてアンディのところに学びに行って、アンディがファシリテーターとして場を作ってくださってました。

その時は僕もしつもんをすることを大切にしていたし、学びながら実践していく中で、アンディがするふりかえりのしつもんがとても印象的に残っていて、どうしてこういうしつもんをするのかな?と、当時からすごく聞きたいことだったんだよね。

また、子どもたちとたくさん関わる中で、しつもんをすることに当時は夢中になりすぎていて、しつもんしない方が子どもたちにとってもいいふりかえりをできる時もあれば、しつもんした方が内省的にふりかえれる時があるんだなーというのをとても感じていて、当時はそこらへんをアンディに「どういう時にしつもんして、どういう時にしつもんしないの?」って、よく聞いていたと思うんだけど、そのことは覚えてる?

アンディ:覚えてる覚えてる。それは同じ問題意識を持っていたから、聞かれるたびに自分の中にもその問いが残って、自分の過剰さとか、逆にこう大事な瞬間を逃しちゃってたこととかをよく思い出してた気がするなぁ。

ふじしー:例えば、子どもたちがいろんな体験をしてくれた後のふりかえりの時間。今日聞いてくださっている方もふりかえりの時間をとる方は多いと思うんですけど、ふりかえりをする中で、当時、今も含めて、気をつけていることはあったりするかな?

アンディ:プロジェクトアドベンチャーというのは、もしかしたらご存知の方もいらっしゃるかもしれないんですけど、元々は野外教育と呼ばれる山に入って何泊も山行するとか、ヨットとかシーカヤックで海に遠征に出るとか、ダイナミックなアドベンチャー体験をやっているような冒険学校があって、その冒険学校の理念とかメソッドをどうやったら学校の中で実現できるかっていうふうに考えて人たちが50年弱、45年くらい前にアメリカで立ち上げた教育手法を日本に持ってきて展開している法人にいたんですよね。なので、やっている活動としては、野外での身体を使った問題解決場面とか課題解決場面を設定して、そこで起こったことをふりかえって学んでいくというような活動を子どもから大人まで、学校の研修から企業研修までやっていてそういう場面でふじしーと出会ったんだけど、

ふりかえりの場面てやっぱり一番「体験が日常に」とか「体験が学びにブリッジしている」大事な場面で、そこで大事にしていること。「しつもん」に絡めていうと「アンディこんなことを聞きたいんだろうな」と思われないということをすごく大事にしていて、言葉上のメッセージってあると思うんですけど、例えば、「なんで失敗したんだと思う?」って聞いた時に、その言語的なメッセージと、メッセージから受けるメッセージ「メタメッセージ」って呼ぶけど、それは、失敗が良くなかったとか、なんかあの時あーいう行動をしたことが良くなかったというメッセージを受け取ることってよくあるなーと思っていて、そんなふうに「言葉でのメッセージとそれから受け取られるメタメッセージがズレない」ということはすごく大事にしていたなぁ~

ふじしー:確かに。それはすごくあるよね。そのしつもんの先にある、「メタメッセージ」を子どもたちが受け取ってしまって答えにくくなってしまったりとか、誘導されてるなって感じさせてしまったりとか、そもそも答えが返ってこないことってよくあると思っていて。よく講演でも「しつもんしてもうちの子どもが全然答えを返してくれないんです」と相談を受ける場面があるんだけど、そういう時ってやっぱり、僕たちのこう答えてほしいっていう思いがあったりとか、これが伝わって欲しいという思いで「しつもん」しちゃうと答えが返ってこない可能性が大きくて。まあ、今アンディが紹介してくれたように、僕たちスポーツの場面でいうとミスはよく起こるんだけど、「なんでミスしたんだ?」って、僕たち指導者としてはミスした理由を知りたいだけなんだけどそこにはやっぱちょっといろんな思いがあって・・・

ふたり:(苦笑)

ふじしー:ミスしたことを謝らせたいとか改善させたいとかそういった思いがココ(自分の背後、頭の後ろあたりにある感じのジェスチャー)にね、あって、

koko

そのまま「なんでミスしたんだ」っていっちゃうと、もうね、子どもたちは言い訳するならまだいいんだよね。ごめんなさい、とか、泣き出しちゃう子もいて、僕たちのココにあるんだろうね、メタメッセージが。

アンディ:なんか自分の中にはなくても、例えば学校にいるから学校の文化とか、そういうそこにある文化とか規範みたいなものにも、そういうメタメッセージが隠れていることもあって、

ふじしー:えーーー!なるほど。

アンディ:俺はそんなつもりで聞いたんじゃないんだけどなーって、それは少しこうなんか想像力が足りてないんだなーって思うことはある。自分にはなくても、そこにある文化にそういうメッセージがあれば子どもたちは受け取っちゃうんだなーっていう。

ふじしー:それは学校の文化だってり地域の文化だったりってこと?

アンディ:うん、うん。

ふじしー:そうか。じゃあ、自分1人が、いろんな試行錯誤してニュートラルな状態で「しつもん」しようとしても、いろんな関わりある人とか環境とか地域とかいろんなものが交錯して「こう答えて欲しいんじゃないか?」って子どもたちが考えてしまう可能性がある。

アンディ:うん、それを学習しているってことはあるなぁーーと。

ふじしー:なるほどねー。うんうん。そんなところで出会って、大学を経て、今、長野にいて。まだ始まったばかりだから、言えないことは言わなくてもいいんだけど(笑)そこで感じていることとか、今あればちょっと聞きたいと思うんだけど。

アンディ:そうだねー。あのーさっき、マツダミヒロさんが、

ふじしー:うんうん。

アンディ:自分の中に問いを持つとか、自分に質問していくとか、そういうことを「しつもん」という中でも大事にしてきたとおっしゃっていて、あー本当にそうだなーと思いながら聞いていて。その時の手段として、しつもんを使うということがいい場面と自分の中に問いを持つために、しつもんじゃない手段がいい場面があるなーと思っていて、特に今は、日常的に一緒にいる子どもたちやスタッフと一緒にいるから、さっき話したプロジェクトアドベンチャーというある意味、外から関わる役割だった時は、とても「しつもん」て効いたんだよねー。

ふじしー:うんうん。

アンディ:急にそういう今までにない問いを、日常から切り離された非日常の人から投げかけられると、結構スッと入って、「あ、なんかそのことって考えてみたい」って、その人の問いになったりという実感があったんだけど、今はそういううまくいく場面ばかりじゃなくて。その「しつもん」が効く場面と、なんかもっと一緒に泥臭く、子どもの隣で僕自身も探究していて、僕自身が僕自身に問いを投げているっていうそんな姿を見ることで、子どもたちも問いを持っていくということがあるなーとは感じている。

ふじしー:なるほどねー、それは僕もすごく感じていて。そこには役割があるなーと思うんだけど。いま僕、島根県の離島の海士町(あまちょう)というところに居て、行ったり来たりしているから「風の人」だという認識でいて、ずーっと住んでる人は「土の人」なのね。土の人ができることと、風の人たち、今アンディが言ってくれたように、非日常なタイミングで来て、問いかけてくれて、考える機会を作ってくれる人と、ずーっと横に居てくれて日々信頼関係を築きながらしてくれる問いと全然違うものだと思うんだよね。どっちがいいとかじゃなくて、役割があるかなーっていうふうにすごく思っていて。なので今回、参加してくださってる方々は、比較的子どもたちが目の前にいる状況で、毎日接している方も多いと思うので、参考になったら嬉しいなーと思ってます。

 

大切にしたいことを大切にするために

 
ふじしー:では、アンディにも聞きたいし、今日参加している方にも、ぜひ「しつもん」に触れるということをしていただきたいので、チャットのところでお答えいただければと思うんですけれども、今皆さんの活動の中で、子どもたちに指導をするとか教員として関わるとか、いち保護者として子どもと関わるとか、そういう中で、大切にしていることは何がありますか?その答えをぜひ教えていただければと思います。

こんな関わり方を大切にしていますとか、
こんな思いを大切にしていますとか、どんなことでもいいんですけど、

「いま皆さんが活動されている中で大切にしていることは何ですか?」

その答えをぜひ、チャットの中で教えてください。
お、ありがとうございます。わ、すごい、いっぱい!

(コメント)
『物事の本質を理解してもらうためになぜ?を深めることをしています』
『その人の世界を邪魔しない』
『良い悪いをこちらが決めない』
『まずは一旦受け入れること。否定しない』
『強制しないようにすること、でもジレンマがいつもあります』

アンディ:うんうん、ジレンマありますよねー。ふじしーは、大事にしていることって結構変わってくなーって感じする?

ふじしー:えーっと、僕の場合はなんかこう、さっきジレンマっていう言葉があったけど、行ったり来たりして、一時期は「もうこれだー!」って思ってやるんだけど「あれ?ほんとにそうかな?」って揺れ動く時があって、んでまたこっちから見ると、またやっぱり「あっちじゃないかなー」って揺れてて、なんか芯はある気はするんだけど、じゃあ果たしてほんとにそれでいいんだろうかっていう疑問は持ちながらいつも関わってる気がするなー。

周りから見ると良くない側面があるとすれば、あの人ってちょっといつも試行錯誤だよねっていう感じ?いい側面があるとすれば、最適解というか、もっともその瞬間にベストなものを探しているっていう感じはあるけれど、ベストなものが見つかったと思った瞬間にもうすぐに「あれーほんとにそうかな?」っていうことはよくあるかなー。

アンディはどうですか?今の活動の中で大切にしていること?

アンディ:大切にしていること。すごい今、今、感じているのは、

ふじしー:うん。

アンディ:スピードかな。

ふじしー:というと?

アンディ:今まで、やっぱりファシリテーター・ファシリテーションという扉を通して関わっていたところがあったから、すごくじっくり待つとか、その人の世界が立ち上がってくるのについていくとか。そういうことが本当にこう体に染み込んでいる感じがしていて、でも本当に日常の中ではもっとたくさんのことが同時に起こっていて、そのじっくり待つとか、その人の世界を大事にするということが、今の自分にはブレーキになっている気がして。

ふじしー:あーなるほどね。

アンディ:瞬発的に今思ったことをすぐ返すとか、そこで起こってることをすぐ仕組みとして試してみるとか、今の自分にとっては「スピードを上げること」がその人を大事にすることにつながるんじゃないかなっていう気持ちがある。

ふじしー:うんうんうん。なるほどねー。それはやっぱり日々毎日接する中で感じてきたことなのかな?

アンディ:うんー。今まではあんまり思ったことがないなぁ。やっぱりなんか子どもたちの気持ちって刹那的なところあるから、今やりたいとか今こんな気持ちだってことはそんなに持続することがないんだけど、そこにポンっと入ってあげることで広がっていくことってあるなーって思う。

ふじしー:じゃあこの「待つ」と「スピード感」みたいなものは、ジレンマの中で、あるね。

アンディ:あるある。

ふじしー:もちろん対象とか年齢とかその子の状況にもよるから、簡単に一般化はできないけど。やっぱり僕は結構「待つ」みたいなところを、非日常的に入る時はすごく大切にしてて。だけど例えば、今、日本代表のね、年代別のチームとかに関わらせてもらう時に2週間でチームを作らなきゃいけない場面とかあるんだよね。2週間で海外で戦うためのチームを作らなきゃいけないって時に「待つ」とその「スピード感」の葛藤はすごくあって、スピード感持ってやり過ぎることでなんかすごく彼らを誘導してないかなっていう葛藤と。待ちすぎてることによって、結果的には彼らの経験になったからいいねっていうんだけど、失敗して負けちゃったんだけどいいんじゃない?って言うんだけど「本当にそうだろうか?」「最高の経験になったんだろうか?」と言うのは、あるよね。

アンディ:うん、ある、確かに。スピード、言い換えれば、自分の瞬発力みたいなものなのかもしれないなーと思うけれど。

ふじしー:うん確かに、そうだよね。よくさ、高校生最後の夏って表現が使われると思うんだけど、それってみんなに同様にその年の最後の夏が訪れてて、小学校3年生には3年生の最後の夏だし、その瞬間に感じられることって違うもんね。他にはある?今、大切にしていること。

アンディ:うんとねー。自分の心地よさとか、自分の正しさと言うか、自分がいいなと思うことを切り離さないと言うことなんだけど、例えばこの前あったのが、国際交流みたいなプロジェクトの中で、結構はじめの段階で子どもたちと一緒にどんなことをやりたいかというのを担当のスタッフがやりとりした時に、8割くらいの子たちが貧しい国の子たちを助けたいみたいな。

ふじしー:ほぉーーなるほど。

アンディ:募金を集めてお金を贈りたいとか、そういう声が上がったっていう話をしていて、そのスタッフはそれがすごい違和感で、実態のない恵まれない人たちみたいなのが子どもたちの中にすごいあって、そういう助けなければならないみたいなのがあって、子どもたちはわかりやすいから、そういうことやってる団体調べようとか、募金どうやって集めるか考えようとか、動きは起こっていくんだけれど「本当にそれいいのかなぁ?」という気持ちが、スタッフの中には違和感みたいなのがあって。そのスタッフは一旦、ちょっと出会って欲しい人がいるからみんなで話聞こうって言って、実際に国際協力やってる人の話を聞いたみたいなんだよね。で、そこから少し潮目が変わっていくみたいなプロジェクトのプロセスがあって、それって一見こう、子どもたちがやりたいって言うことに沿っていくこともできたし、それを大事にするって言えば聞こえはいいんだけど、でもそのスタッフの違和感みたいなものを「いやーでも自分はちょっと違うと思うんだよな」というものをちゃんとフラットに場に出せたことで、たぶん、子どもたちにとっては少しこう、観える視点が増えたと思うんだよねーー。

ふじしー:うんうんうん。

アンディ:それを恐れないということは大事にしたいなと思った。

ふじしー:それは子どもたちが主役ということだけではなくて、そこに、スタッフの人たちもその一員としてそこにいてみんなで作っていくってことを大事にしていくからこそ出てくる感覚なのかな?

アンディ:うんうん、そうだね。

ふじしー:分断されてないってことだよね、子ども、先生、みたいな感じで。

アンディ:うんうん。

ふじしー:なるほどなー。実体がないっていうのは、その子たちが本当にそう思ってやってるのか、聞いたからやろうってなってるだけなのか、分からないからってことだったのかな。

アンディ:そうみたい。

ふじしー:でもよくあるよね。例えばゴミの問題とか。テレビを見て、これは大変だーと思う瞬間ってたくさんあるじゃない?それを鮮明に感じてやろうとしたプロジェクトなのかどうか。今回はそれを大切にしたってことだだよね。

アンディ:そうだね~それも本当にさっきの「瞬発力」と「待つ」ということの葛藤と同じように、大人の価値観を表明することへの恐れみたいなものはやっぱりあるし、それがなくなっちゃうと、大丈夫なのかっていう気持ちももあるし。

ふじしー:確かに確かに。何だろねー難しいよねー。学校の関わり方の指針みたいなのがあるからそれによっても変わるよね。今アンディがいる学校には共有意識としてあるってことだよねきっと。

アンディ:そうだね、暗黙的にあるっていう感じかなぁ。

ふじしー:子どもたちがどんどん進んでいくことも大事にするけど、そこに客観的な視点として自分自身が感じたことも伝えていこうねっていうことが暗黙的にあるっていうこと?

アンディ:そうだね「つくる」っていうことを真ん中に置いてるから、全員が当事者になるってことは大事にしていて。「大人だから外から見守る役割」っていうふうにはあんまり捉えられてなくて「協同的な伴奏者」のときもあるし、「一緒に本当に作っていくって立場の人」であるときもある。

(コメント)
『募金の件、よく分かります。まずは聞いて一旦行動したからこそ、その違和感て分かるのかなと感じます。最初に決めたからとやり切るより、本質を観ていくのは大切だと思います』

ふじしー:なるほど。そこに参加することによって、「本当はそうじゃないんじゃない?みんな困ってないかもしれないよ」って言って、そっちにこう誘導、そっちじゃないよーって方向転換させるための発信をするとまた事情は変わってくるよね。

アンディ:そうだよね〜

ふじしー:僕は多分昔ずーっとそれをやってたから、逆に反発みたいなのがあって、そういうのは一切やめようと。だから、見守ろう、彼らがやりたいようにやってこうと。ちょっと立ち位置を迷ってた時があって、極端だったと思う自分自身が。だから今度は子どもたちのチーム、子どもたちが決めているんではあるんだけど、僕は外の人になってしまったというか、一緒につくるという感覚はその時は感じられなかったかなぁ。難しいね、でもこれはね。

(コメント)
『全て子どものやりたいことにOKを出すことがいいとは限らない気がします』
『上も下もなく一緒につくる、素敵ですね』

ふじしー:そういうのってさ、先生方が感じた違和感とか、今子どもたちがこんなふうに進んでてとか、みんなで話する場は用意されてたりするの?

アンディ:大人が?

ふじしー:うんうん。

アンディ:みんなで話そうみたいな場は、そんなにはないかな、今。どちらかというとアンオフィシャルな場で共有されていることが多くて、どちらもあって、そういう場が必要だなーと思う時と、学校の特徴として、「みんなで一斉にこのことをやりましょう」とか「みんなで一斉にこれを学びましょう」みたいなことって極力少なくしているところがあって、やりたい人たちが集まってやる。共有したいと思えば、共有したいと思った人たちが共有する場を作ってする。ということを大事にしたいというか、そうありたりいと思っている組織で。でも、その難しさも同時に出ていて、本当に一人ひとりが判断して考えないといけないから、その分の負荷はかかってるなーという感じはするかな。

ふじしー:ビジネスでも今、分散型の組織づくりみたいなのが注目を浴びている中で、教育もきっと、意思決定を1つの場所に集めるんじゃなくてそれぞれが持ってもいいんじゃないか?みたいな形には、少しずつ移行していく学校もあるかなーと思うんだけれど、それをチャレンジしている部分があるっていうことだよね。

アンディ:そうだねー、チャレンジしている。同時に、一人ひとりが決め切る、作り切る、ということをやってく経験がないと、最後のところで誰かに決めて欲しくなったり、みんなで合意形成したくなったりするっていうのは起きてる。

ふじしー:そうだよね、これはでも子どもたちもそうだし僕たち大人もそうなんだね。きっと皆さんもしつもんとか、子どもたちの決めたことを大事にしたいという方が多くご覧いただいていると思うんだけど、自分が決めるっていう感覚って大人になってからは組織の中に入ると少なかったりするじゃない?自分で決めているようなんだけど、アンディが言ってくれたように「合意形成はしっかりとってみんなの承認を得てやっていきます。みんな賛成しましたよね?」っていう感じで進めていくって、まぁ安心感持って進められるんだけど、自分が決めたからやるんですみたいなって感覚って、僕は社会人になってから多くなかったから、それを子どもたちに渡していこうっていう感覚は強くあったかな。

あ、質問もいただいてますかね。

(コメント)
『モンテッソーリの教育の考え方に近いですかね』
ふじしー:ありがとうございます。

(コメント)
『アンディの学校では生徒間でトラブルがあった時どんなふうに解決してますか?一般の学校は時間もないので、先生が話を聞いて事実確認して握手して終わり。みたいなことがよくあると思いますが』

ふたり:確かにねー。笑。

(コメント)
『子供自身の力がとても必要とされますね。それを信じて待てるのかどうかということろも試されている気がします。ただ子どもにどこまでできるのかということが親として不安になります』

ふじしー:確かにそうだよねー

(コメント)
『質問からの作業が、質問者も含めた協同作業にするのが大事ですね。先ほどの方はある意味、経験値の差からくる見守りで、遠慮して何もしないと、ただの傍観者ですね』

ふじしー:傍観者と見守りもまたちょっと違うよねってことか。なるほどなぁ。皆さんの質問に答える時間は後に残しておきたいなと思う中で、、今回のテーマはですね「探究としつもん」なのですよ。アンディの話もいっぱい聴きたいんだけど。

 

探究することの価値とは?

 
ふじしー:探究することで得られることって何なんだろうってことを、改めて見つめたいなと僕たちは思っていて、国が決めたから探究をどんどんやっていこうとか、そういう時代だからということにそれを感じることも大事だと思うんだけど、一方でそれにごまかされないというか、自分自身がそれを大事だと思ってるのかどうかを見つめることって大事かなーと思っていて。

あ、じゃあ皆さんにも聞こうかな。アンディにもこの後答えを聞こうと思うんですが、皆さんの答えもチャット欄で聞かせてもらいたいと思います。

「探究することで得られるものは何だと思いますか?」

物事を探究していくことで得られることは何だと思いますか?ご自身の経験からでも結構ですし、子どもたちの探究する姿で感じたことでも、どんなことでもいいので教えていただけたらと思います。おーーもう早速!早い!

(コメント)
『自信、自力解決力、意外な結果、新しい手段、生きる楽しみ、自ら考える力、自分への自信、知恵が出てくる、多面的にいろいろなレイヤーで気づきがある、工夫すること、学ぶ楽しさ、知的好奇心、自己満足、世界を肯定する力、自分とは何か、人の本質、新しい発見』

すごいですね、皆さん早いな。
事前にしつもんしてないんだけど皆さん早いですね。すごいなー!

それほど皆さんは、探究する価値みたいなものをお感じになってるということですよね。
アンディ自身はどうですか?探究することで得られることって何だろう?というのが今のしつもんだったんだけど。

アンディ:何だかちょっと抽象的だけど、「それが生きていくことだっていう構え」ができることだなって思う。より自然な方に進んでいく。だからどちらかというと、新しい力が身につくとか、こんなことができるようになるっていうよりは、より自然な方の姿に近づいていくためのものが「探究」ということなんじゃないかなーと思う。

ふじしー:なるほどなー。
結果として得られるものがあるから探究するって感じじゃないんだね。

アンディ:うん、本来そういうものだ。
学ぶとか生きていくとは、本来そういうものだ、と思う。

ふじしー:なるほど。うんうん。僕もさ、そういう感覚で生きてきたし、最近もそういう本を書かせていただいたから、なんかね、それについて今しつもんが思い浮かばなくて。そうだよね、としか思わなくて。

ふたり:笑笑

ふじしー:皆さんにとって学びになるような「しつもん」ができないんだけれど。。何だろうね、でも、そうでなかったのはなぜなんだろうね、じゃあ。そういうシステムというか仕組みにできなかったのは、なんでだったんだろうね?

アンディ:とはいえ、そうは言ってみたものの、やっぱり学校の中でこういう力がついていないと卒業後どうなのか?とか、進路はどうなのか?とか、そういういろんな不安が出てくるなと思っていて、そういうことに答えながら教育が作られてきて、それの本当に最適なものが出来上がってだいぶ時間が経ってきているということだと思うんだよね。それはひとつの成果であるが。

ふじしー:うん、それがいいとは思ってはいたけれど、本当にみんなが共感したり理解したり納得するだけのなんかこう、なんていうかな、結果って言ったら大きすぎるのかもしれないけど。それが見えないまでは、こうしていきましょってなかなか言えなかったってことだよね。

アンディ:うん。

ふじしー:なんかさ、それって子どもたちの夢を聞いたときにすごく顕著だなって思っていて、この子の夢は応援したいと思える夢と、そうじゃない夢があると思うのね、僕がいろんな人と関わってきた中で、例えば野球選手になりたいとか、プロサッカー選手になりたいというのは比較的お母さんお父さんも応援してくれるんだよね。分かった!って、いろんな環境を整えてくれて、どちらかというと応援してくれる夢ね。まあ、他にもケーキ屋さんになりたいとかね、そういう夢。

でも今、人気のYouTuberになりたいは、あまり子どもたちは賛同を得られてなくて。それは多分、僕たちがまだYouTuberになるプロセスで何を学べるかってのが見えてないのと安心感がないんだなーと思ってて、サッカー選手とか野球選手になる過程で学べることって経験値としてもそれぞれの皆さんにあって、コミュニケーションとる力とか、努力することとか、目標持って毎日コツコツ進んでいくこととか、そういったものがあるから、じゃあ応援しようってのがもしかしたらあるのかもしれないなって直感的に感じたんだけど。

アンディ:確かに。

ふじしー:例えば、YouTuberはすごく大変で、題材を決めて、企画を作って、じゃあどのようなな過程で撮影しようかとか、どうやって編集しようか、どうしたら多くの人に見てもらえるかな?とか、ビジネス的な視点がたくさん入ってないと視聴数は増えてかないじゃない?ただ単純に好きなことをやるってだけでもすごく素敵なことだと思うんだけど、もっと見て欲しいとか、YouTuberで有名になりたいって夢だったとすると、いろんなことを学ばなきゃいけなくて。だから、ひとつの夢として僕は素敵だなって思う一方で、それがやっぱり細かく分解して見えてないと「そんなのはやめなさい」って言っちゃうかなーってすごく感じてる。

アンディ:探究には、すごく乱暴に分けると「問題解決的な探究」と「創造的な探究」ってあると思っていて、

ふじしー:うん、そうだね。

 

「問題解決的な探究」と「創造的な探究」

 
アンディ:「問題解決的な探究」って分かりやすいから、学習の素材としては使われやすいと思うんだよね。こういう困りを解決するとか、こういうことを達成するみたいな。ゴールも明確で。そして多くの場合は、そこに他者がいて実際に困っている人とか変えたい人がいて、それが解決すると感謝されたり、何かが変わったりするフィードバックもあったりして。

andy

そういう問題解決的な探究と、こんなものを作ってみたいとかこんな風にしてみたいっていう創造的な探究って、大人がそこに関わっていくときに「しつもん」ということを考えると「問題解決的な探究」はすごく「しつもん」が効いてくることが多いなぁと思っていて。「創造的な探究」の場合は、例えば「なんでそれやりたいのか」とか、まだ言葉になる前の欲求で、創造的な探究に踏み出している時に言葉にするのを急ぐと、ちょっとブレーキになってしまうなぁっていうことを感じることはある。

ふじしー:そうだよね。好きだからやっていることがあったとするじゃない?例えば今、昆虫が大好きで仕方がない。で、小学生の子どもがいたとして「どうして昆虫のことが好きなの?」って聞いた瞬間に、言葉にしようとするがあまり探究心が薄れていくということもあるっていうことだよね。

アンディ:さっき「テーマはどう決めていますか?」って質問をいただいていたけど、問題解決的なものはテーマを決めやすいけれど、創造的な探究って勝手に生まれていくとか、遊びの延長だったりして、さっきのふじしーのYouTuberの例と同じように、大人はちょっと不安になる。これずっとやってていいのかなぁ?とか。

ふじしー:そうだよね。

アンディ:ついそれを、問題解決的に、例えば「そんだけ虫が好きなら、じゃあ、あそこの川にホタルを戻そうっていうプロジェクトにする?」とかって言って、そういう風に問題解決的にやってみたくなっちゃう。それが全部悪いわけじゃないけど。

ふじしー:うん、そうだよなー。

(コメント)
『昆虫が好きなら、何見てるの?って聞いてあげるかな』

あ、いいですね。そういうしつもんは、また違う問いだよね。無理にでも言葉にしてもらおうという気持ちが僕たちは大きいのかな。

アンディ:知りたいもんね。

ふじしー:うーん知りたいねぇ。そうか、観察の中から身につけるという視点ももちろん大事だし。難しいですね。そういうタイミングもさ、すごく難しいよね。

アンディ:そうだねー。

ふじしー:一方でさっきの先生の話じゃないけど、そこを大事にするあまりに、色んな客観的視点を見つけられなくなることもある。でも、さっきの話にちょっと戻すと、探究に2つあるんじゃないかという、アンディから話があって、問題解決型の探究と自分から自ら生まれている創造的な探究。どっちも自ら生まれている側面もあるのか。

アンディ:うん。

ふじしー:僕、海士町という島にいて、すべてじゃないんだけど、やっぱりね、周りからやってくる探究が多い気がしていて。僕がいる島は人口2300人の島で、人口が減っていく中で高校がつぶれてしまうかもってことからV字回復した島なんだけど、地域の課題がたくさんあるんだよね。だから解決しなきゃいけないことってたくさんあって、じゃあ子どもたちから生まれてくることって何なの?っていうところは、大人が求めている課題と違ったりするんだよね。

アンディ:うん。

ふじしー:だから、創造的な課題がコミュニケーションをとる中で、いつの間にか地域の課題に持っていかれていて、、っていう場面が、すべてじゃないよ、全部じゃないんだけど、そういうのは僕自身もあるかなぁーっていうのを感じた。

アンディ:うん。特に感度が高い子は、感度が高いって言い方も変だけど、他者に興味がある子は、ついそういうふうに困っている人がいるとか、解決しないことがあるというと、そっちに気持ちが向いて、それももちろん大事な探究だし、その中に自分のどんな欲求が隠されているのかとか、これを進めていった後に自分の中に何が残っていくのかとか、そんな中からまた次の創造的な探究がうまれていく可能性にも開かれていくといいよね。

ふじしー:なるほどねぇ。確かに。
ちなみにアンディは今、探究していることって何かあるの?

アンディ:そうだねぇ。

ふじしー:あ!これみんなにも聞こう。

アンディ:そうだね。

ふじしー:自分自身が本当にやりたいと思って探究していることって、皆さんにもたくさんあると思うんですけど、それをぜひ教えていただければと思うんですが。

「あなたが今、探究していることはなんですか?」
ぜひその答えを、チャットで教えてください。

なんか、今パッと思い出したから話すね、しつもんの答えを待ちながら。大学生から相談を受けた時があって。論文を書かなきゃいけない、でも僕大学卒業していないからわからないんだけど、ああいう論文って、もともと自分から問いを作って、それを解決したり解釈したりすることを発表するんでしょ?だけどそれが、教授から問いは与えられていて、という話を聞いたときに、あ。まさしくそういうことか、というか。

アンディ:うーん。

ふじしー:別に悪くはないと思うんだけど、本当に自分がその問いに自分事として取り組むことが難しいんだろうなと。

アンディ:そうだよね。昨年まで大学に勤めていたんだけど、ふじしーに来てもらったゼミの中で、1年目のゼミでは創造的な探究「あなたは何をしたいのか」とか「何でワクワクするか」っていうことを、1人ずつとすごくじっくり話して、テーマないし問いをたてて、そこから探究していくっていうことをやったんだけど。最初はみんなその問いがたった時に「おお、なんか楽しそう」って思うんだけど、持続しないんだよね。全然。

ふじしー:えー。そうなんだ。

アンディ:そう。それって、やりたいことをやらせてるみたいな状況に、なんかジレンマになっていって、2年目はふじしーにもプロジェクト関わってもらったけど、僕の方で4つのプロジェクトを作って、それに選択して入って。どちらかというと課題はある程度あって、それをどう進めていくかとか、課題をどう再設定するかっていうことを学生たちがやっていったっていう探究の仕方で、そうするとなんかやっぱり、今年もふじしーに個人的に相談がいったりして、そこからやりたいことが生まれてくるっていうのがあって、、。

ふじしー:ジレンマだね。

アンディ:うん。

ふじしー:あー。しつもんの答え、ものすごくたくさんいただいています。
「みなさんが探究していることは何ですか?」というしつもんでしたが。

(コメント)
『人が成長するポイントは何かとか、自分の内側にすべてある意識でつくりだせること』
『夢と現実のギャップの埋め方はどうすればいいか』『一人一人の幸せは何か』
『自分の中の反応とその奥にある恐れや不安を認識することで自分をニュートラルにすることを探究している』

すごいなぁ。みなさん。

アンディは、最近探究していることある?
本当にここ数日でも、時間をかけて探究していることでいいんだけど。

 

探究と評価

 
アンディ:自分の表現とは何か?ということ。やっぱり働いていると、誰かの評価って気になるし、誰かの評価とか承認って気になる人ってたくさんいるし、みんなそうだと思うけど。そうやって外側の基準でどうしても離れられないと思うんだけど。「どれだけそこから自由になれるか」っていうことと「探究」ってすごく繋がっているなぁと思っていて。だからまぁ学校の文脈でいうと、「評価と探究」をどう考えるかということだと言えるし、

ふじしー:うん。

アンディ:組織の中でも、大人の中でもそれがすごく起こっていて、そんな中でやっぱり「あ、これは自分が作ったなぁ」とか「これ自分っぽいな」って思えるものが身の回りに増えていくことって、そういう他者評価とか、外側の軸と切り離された幸せが増えてくることにつながるんじゃないかな〜と思っていて。

今、本当に小さく小さく始めているのが、奥さんと一緒に自分の表現に触れるということを「真ん中」においた、ちょっとした体験の場とか、物を作ったりする場みたいなのをはじめていて、そんな中で最近あったのは、縫い物のワークショップをコロナ期間になって5〜6回やってんだけど、その中で自分が作ったものの愛おしさがね、やっぱりあるんだよね。身の回りにそういうのが増えていって、仕事もそうだし家の中でもそうだけど「自分の表現だな」と思えるものが増えていくって幸せなことだなぁって。その「自分の表現ってどういうことか」っていうのは今考えていることかな。

ふじしー:おもしろーい。そうか確かに、今アンディが言ってくれたように、その探究と評価ってあるね。本当に好きで好きで仕方ないんだけど、本当にこれをやってていいんだろうか?みたいなものがふと湧き起こってきて。それが評価につながってしまうと、その探究心が一気にしぼんでしまったりとか。

あとは、僕もすごく「そうだなぁ、気をつけないとな」と思ったのは、その探究してるんだから「芽を出せ」みたいな。いつまで根っこを掘っているんですか?いつ花は咲くんですか?みたいな感じのものを求めてしまって。「そんなに昆虫が好きだったら、もっとみんなに発表したりしたらどうだ」みたいなことをついつい言ってしまって評価につなげていく。みたいな、、うん。あった気がするなぁーー。

アンディ:本当に好きでやっていることを、急に人が点数つけたりさ。良い悪いを決めた瞬間、まったく価値が変わっちゃうもんね。

ふじしー:そうだね。アンディには、シェアした気がするんだけど、2年前にこのしつもん財団で、ドイツの研修ツアーに行ったのね。今日参加してくださっている方にも当時ご一緒させていただいた方がいるかもしれませんが。

ドイツに「ミニミュンヘン」っていう、2年に1回できる小さな都市があって、子どもたちだけで運営しているんだよね。もう20年間運営してるから、卒業した子どもたちが自主的に関わってくれて、その街づくりで小学生・中学生が困っていることがあると、そこをサポートしてくれたりして、基本的にはもう大人は中に入れないという仕組み。基本的にはね。で、僕たちも特別に許可いただいて、1時間くらい中をウロウロさせてもらえる特別パスポートみたいなのもあって、ウロウロさせてもらって話を創業者の方に聞かせてもらったときに、やっぱり僕たちは「評価」のこととか「身につく力」みたいなことをしつもんしたんだよね。

「このミニミュンヘンにくると、子どもたちはどんなものを身につけますか?得られるものって何ですか?」みたいな感じでお聞きしたら、創業者の方に怒られちゃって。

アンディ:うーん。

ふじしー:「そういう質問は大嫌いだ」って言われちゃって、

ふたり:笑笑

ふじしー:ドキーーッ!としたんだけど、子どもたちを見てみろと。彼らは今ここが好きで楽しくて仕方なくて毎日ここに来てるんだ。それ以上に必要なものはあるのか?って言われたのね。もう恥ずかしくて、すぐ日本に帰ろうかと思ったんだけど、

ふたり:笑笑

ふじしー:それって、すごくあるなぁと思って。その子の「探究」を、「今、彼らは目の前のことに楽しくて仕方なくてやっていること」をそれでいいじゃないかっていうのはね。すごく考えさせられたんだよね〜

アンディ:そう言い切れるっていう、強さがね。

ふじしー:もともと学校の先生なんだよね。

アンディ:うーん。今日、たぶん聞きに来てくださっている人たちは、学校に関わる人も多いと思うから、その評価の問題って。とはいえどうやって?っていうふうに思っちゃうと思うけど、それどうしても「主体が大人」の方にあってさ、「大人が子どもを評価するってどういうことだろう?」っていう、暗黙の主語があると思うんだけど。

「評価」ってもともとその人のもの」だから、その人が自分の軌跡をどう記録として残していけるかとか、後から振り返って自分の変化とか自分が感じたことをどう意味づけられるかとか。評価の主語、主体を子どもにするっていうことに大きく転換できると探究の価値は変わってくるよね。

ふじしー:そうだよねーーー、スポーツはそれすごい顕著だなあと僕は思っていて。スポーツって基本的にみんな好きで始めることが多いと思うんだよね。野球が好き、サッカーが好き、アメフトが好きとか色々あると思うんだけど、でも必ず評価がつきまとうんだよね。試合に出れる出れないという評価もそうだし、そこでキャプテンに任命されるされないという評価もそうだし。それが積み重なっていくと、これは僕の経験でしかないけど、他の人の評価が大事なんだっていう思考にどんどんどんどんなっていって、もともと好きだったものが嫌いになっていったりするのは、すごくあるなぁと思ってて。

代表活動する中で「これはいけない」と自分の中ですごく思ったことがあるんだけど、日本代表の選手になりたいっていう子どもたちがやってきて、みんな頑張っているわけだよね。評価されにきてるんでね。「ここはアピールする場だ」と、いろんな人から「代表になってくれ」って言われて。

僕が担当したのも当時14歳の年代だったから、14歳にして評価されることについて頑張っていく。そうすると僕たちには、結構「代表選手になりたいんだろ?」「ここに日の丸つけたいんだろ?」っていう言葉だけで彼らを導いていこうとする瞬間が生まれちゃって。

これは「その評価だけを軸にした彼らの熱量を上げさせる工夫」だなと思って。じゃあそれが、時には良いこともあるし、刺激になることもあるんだけど、本当に好きだった物事を奪い去ってしまう瞬間でもあるのかな?ってすごく恐怖心を感じたんだよね。だから、アンディが言ったその「評価と探究」を、僕たちがどうするかというのは考えていかなきゃいけないんだなとすごく感じたかな。

アンディ:ほんとねぇ。なんか火にガソリンくべるぐらい、こう、“ボーッ!”って燃えるしね。そういうときの選手たちの熱量ってね、つい使いたくなっちゃうんだよねぇ。

ふじしー:そうですね、先ほども『文化の違いも大きいですよね』ってコメントがありましたけど、文化の違いから違うしつもんが生まれることもある。

(コメント)
『しつもんする側にも子どもをどう見ているのかの、自身の前提をしっかり把握しておかないと、他者の評価に左右されるんですね』 
『ドイツでは、人からどう見られるのかあまり気にすることなく、自分が第一というのが強い。自分は自分であり、人と違って当たり前。そのうえでそれぞれの違いを認め合うというのが、文化としてベースにあるんではないか』

うん、文化しとて、あるっていうことでしょうね。

『他人からの評価を突き抜けていく人間が、世の中を変えられると思います』

確かに、その側面もありますよね。ありがとうございます。

その探究というところとしつもん。
今回、アンディはすごく伝えてくれてるなーって思うんだけど、改めてそんな「探究としつもん」みたいなところってどんな関係があるのかなというのを聞きたいんだけど。なんかさっきの話でいくと、促進するものにもなり得る時もあるし、探究心をね。一方で言語化を求めるあまりに、その探究心をしぼませてしまう可能性もあるし。と言う視点を教えてもらったと思うんだけど、その辺あらためてどうですか?

 

しつもんをシェアすること

 
アンディ:そうだね。なんかここまで話してきたことを1つ整理すると、同じ探究者として自分の中にある問いとか、自分の中にあるしつもんをシェアするとか、おすそ分けするということは、積極的にやったらいいなーと思っていて。今回も、ふじしーからの投げかけで、こうやってみんなが考えているけど、同じ探究者として自分はこんな問いを持ってるんだよね。とか、そのことについてどう思う?とか、自分の問いをシェアしていくっていう「しつもん」の使い方もあるんじゃないかなぁーと思う。

問う側、問われる側っていうことじゃなくて。それって、子どもたちにとっても「自分の中にはどんな問いがあるのかな?」というふうに、特に年齢が上がってくると、それを考えるきっかけになるのかなと思っていて。

例えばね、今、実際にうちの家で「子どもの中学校どうする?」とか、そういう話があるんだけど、そのときに子どもの中学校をどうするか?ということで子どもとやりとりするのか、それとも、おれは10年後のことをどう考えてるのか、おまえはどう考えている?っていう風に、一緒にそれを探究していくのかで大分変わるなぁと。

ふじしー:そうか。じゃあ考え方、答えをシェアするんじゃなくて、問いをまずシェアするっていうのはいいんじゃないかといううことだね。

アンディ: うん。

ふじしー:確かにそれはいいね!今は学校でもそういうこと、アンディは意識してしたりするの?

アンディ:えっとね。どちらかというと子どもたちとの関わりよりは、大人との関わりの方が多いから、スタッフ間ではそういうことは意識している。あっという間に、大人同士でも準備する側、受け取る側とか、考える側とか参加する側、考えさせる側みたいな役割があっという間に分かれちゃうなっていうのが、この数カ月の実感で。だから一緒の問いをシェアできれば、動く方向が変わってくる。

ふじしー:いいね、それ。僕たちのしつもん、僕自身もそうだし、財団としてもそうなんだけど、最終的な目指しているゴールって、子どもたち自らが問いを持って進んでいくことで、それはまさに探究することなんだけど。

その前のステップとしてはまず、僕たちが良いしつもんをしようということを講座とかでお伝えしてて、最終的に子どもたち自身が自ら問いを持って生きていってほしいな。という風に思う中で、問いを共有するみたいな習慣とか文化みたいなのを作っていけたらすごくいいよね。

アンディ:うん。

ふじしー:前にドイツのある幼稚園で「哲学の時間」っていうのを幼稚園でやっている方々がいて、どんなやり方をされているのか視察させてもらったんだよね。その時にしてたのは、子どもたち、幼稚園児の子どもたちが日常的に持っている「しつもん」を紙に書いておいて、それを瓶の中に詰め込んでおくんだよね。

その哲学の時間で、みんなが日常的に持っていた問いを共有して「あなたはどう思う?」って、別に答えを出す時間ではなくて、みんなが持っている純粋な問いを共有する時間で、僕自身も参加させてもらって、すごく楽しくて。

「こんなことを考えているんだ」っていう発見にもなるし「そういわれてみればどうだろう?」っていうような、自分自身が内省する機会にもなったし、その人の理解にもつながったし。ある女の子が、5歳の子だったと思うんだけど、その子が書いたらしいしつもんには

「どうしたら好きな人が、最愛の人だとわかるんですか?」みたいな質問があって。

ふたり:笑笑(参りました…という笑い)

ふじしー:子どもたちは答えられるんだよ、それに対して。「僕はこうだと思うよーっ」みたいな。僕たち大人はなぜか答えられないっていう、、その年代にしか持てない問いっていうのがあるんだなぁ〜って。「どうして誰々くんの物で遊んじゃいけないの?」とか、そういうのが入ってた、瓶の中に。なんかこう、ね、常識的に言うことはできるんだけど、「あなたはどう思っているの?」みたいなことを言われると難しいし、そういう問いかーってすごく感動したの。

アンディ:おもしろい。それ、ドキッとするよね。

ふじしー:ドキッとする。子どもたちが持っている問いに、ピュアな純粋な問いにはすごく力があるなぁ、とすごく感じたなぁ、その時。

アンディ:反対に、外から見学というか、オンライン上で学校のことをやり取りしていくときに、問いを真ん中に置いてやりとりしたいなぁと思って、そんな風に投げかけるんだけど、どうしても一問一答というか、こっちが答えを持っていてそれを聞くっていうようなやりとり。例えば「英語はどうしているんですか?」とかそんなやりとりになってしまうのを、どうしたらいいのかな?っていうのは、小さな問題意識で。

これは「問いって何なんだろう?」っていうことなんだけど、答えがあることを聞きたくなる。それ全然悪いことじゃないんだけど、でもそうじゃない問いも立てられるっていう風に、僕らがまずは問いを持ってく。それを日常にしてし身体化していくということが、とっても大事なことだなぁと。

ふじしー:そうだね〜確かに。今日、皆さんが貴重な時間を使ってここに参加してくださっている方もそうだし、僕たちもセミナーとか研修とか講演会とかさせていただく中で、少しずつそういう葛藤はあって、ある程度の答えというものを聞きにきてくださっている方もいる中で、どちらかというと僕たち財団って、その答えでなく、問いを見つけるみたいなことをすごく大事にしているから、一方では「そうですよね」って理解いただける方もいれば、一方では「なんかちょっと消化不良だな」というか「もうちょっと具体的な答えを提示してほしかった」っていう考えもあって。

もちろんその通りだなと思う中で、僕たちも葛藤して進んでいってるんだけど、じゃあ、いざ僕自身もセミナーとかに参加しようとなったら、やっぱりそういう瞬間って自分の中に生まれてるなぁってすごく感じるんだよね。答えを、一問一答の「具体的にここどうしてるんですか?」ってことを聞きたくなってしまう。アンディの学校は今すごく注目もされているから色々ありそうだね。今は、たくさんそういう瞬間がね。

アンディ:そうだね。もちろん、その1つの答えが次の問いのきっかけになるということだってあるんだと思うんだけど、

ふじしー:うんうんうん。

アンディ:習慣的にそこから自分なりの問いを立てられるかどうかっていうことは、本当に習慣だなぁと思うから。

ふじしー:時間をかけて、一緒に作っていくっていうこと?

アンディ:まあ、そういうふうに意識して大人が答えを聞くとか、子どもたちに対しても、その子が持っている答えを聞きたいとかその子が持っている情報を得たいということじゃなくて、一緒に考えていきたい。

なかなか答えが見つからないようなことを投げかけていけるか?っていうことが、1番最初のメタメッセージにもつながると思うけど。

ふじしー:そうだね。確かに。そうか、やっぱ問いを持って帰ってもらうっていうのが、今日の時間もよさそうだね。では、残り10分ほどになってしまったんですが。

そうですね、今コメントいただいたように『ぶっちゃけ先生に余裕がない。人が足りない』っていうのも本当に現場感としてはその通りだなと思っていて。何に優先順位つけるのか、何にエネルギーを注ぐのか。と本当に難しい問題で、これも答えがないよね。そこの学校によっても違うでしょうし。

 

誰かの探究のそばにいるために

 
ふじしー:では、しつもんをピックアップしますね。『探究をもっともっと深めたくなるしつもんの仕方ってありますか?』っていうしつもんなんですけど、どうですか?

アンディ:探究を深めたくなるしつもん、、、その子は今、探究が深まっていないという状態ということなんですかね?

ふじしー:そうかもしれないし、そうだね。
もっともっと深めてほしいってこっちの期待があるのかな。

アンディ:うーん。同僚のスタッフが「探索」と「探究」という言葉の定義を本人の中ではっきり分けていて、

ふじしー:おーーー

アンディ:探索っていうのは、すごいノイズがいっぱいある段階。ただ遊んでいるように見えるとか、ちょっとやっては止め、ちょっとやっては止め、みたいなことを繰り返しているような段階。でもそういう「豊かな探索」をする中で、探究が生まれていくんだっていうことをその人はすごく大事にしていて。

だから、「探究が起こってないな」っていうときに、ちょっと今回のテーマとはズレるかもしれないけど、しつもんで何とかしようって、言葉でそれを引き出そう引き出そうとしてしまうと、あまりいい方にはいかないんじゃないかな、って気はするな。

ふじしー:やっぱり僕たちはしつもんに愛着があって、こだわりがあってやっているけど、僕たちの中でも「しつもんしない」っていうこともすごく大事にしてて。やっぱり1つの手段であり方法だから、目的を見失ってしまってその方法を重視してしまうと、その子にとっては最適なものじゃなくなる可能性もあるよね。

ふじしー:他にはですねー、、『喜びからの参加をしてもらう、やりたくない時の強制参加を促さない。例えば幼児の子たちね。来てくれるだけでありがとうと考えているのがラグビースクールの理念です。ただ、練習や試合への入口がスロースターターであるのが悩みで、終わりに近づくにつれやる気になってくるので、結果、技術が上達したり、勝利したりというのが伴わないのが悩みです。いい入り方はないでしょうか』

アンディ:えーー!?ふじしーどうですか?

ふじしー:僕の考えだけど。特に幼児とか小学校低学年の場合「楽しいって感じてくれるだけでいい」と僕は思っちゃってるから、あんまりこう、そこにエネルギーを注いでないかな〜っていうのが正直なところですが、、

今日も最初にみなさんに「今日このセミナーが終わった時にどうなっていたら最高ですか?」ってしつもんをさせていただきましたが、そのしつもんは子どもたちにすることはよくあります。全体で集めてやることもあるし、普通にラフな状態で、幼児の子たちと一緒に遊びながら「今日はどんなことしたい?」とか「帰る時どんな気持ちになっていたい?」って聞いて始めるというのはあるかもしれない。

子どもたちもそれに答えてみると、「あ。ちょっとこうことを僕もやりたいんだな」って認識したりとかが生まれて、やる気とか練習の質が変わるというのはあるかもしれません。
アンディはどうでしょうか?

アンディ:本人が決めるっていうのはすごい大事だなぁと思っているから、参加しないという時に、参加しないというのを決めている場合と、なんだかフワッとやらない、、やってないけど参加しないということは別に決めていない状態っていうのもありそうだなって。

「やりたい時は参加してね」っていう日もあっていいし「スタートは全員一緒にスタートするよ。でも抜けたくなったらいつでも言いにきてね、いつでも抜けていいよー」っていうふうに参加しないっていうのを決める場面を作るやり方もあるかなーと思ったかなぁ。その時に「抜けて何したいの?」とか「どんな気持ちで今日は参加しないって決めたの?」とか「あ、そっかそっかそういうことをやりたくなったんだ。じゃ、後でまた話聞かせて」とか、その子が決めたことを分かち合って。

だから、ラグビーには参加してないけど、何かには参加している状態っていうのが生まれてくるといいのかなぁ。

ふじしー:いいね!では、もうすぐ終わりの時間になりますが。
いつもはね「今日の学びは何がありましたか?」ってしつもんするの大体。今日のこの時間を通じて、90分皆さん貴重な時間をいただいて「どんな気づきと学びが生まれましたか?」というしつもんをするんだけど、さっきもあった通り、問いをシェアするというのはすごくいいなぁと思ったので、皆さんへのしつもんは、

「この時間を通じてどんな問いが生まれましたか?」

その問いをチャットで教えていただければと思います。例えば、あらためて「探究とは何か」っていう問いが生まれたら「探究とは何か?」ってメッセージしていただけたら嬉しいです。

(コメント)『創造的な探究とは何か?』
ありがとうございます。あ、もう僕が話すまでもないですね。笑。
今日この時間で生まれた問いを共有して、終わりに近づけていけたらなと思っております。

「今日この時間を通じて生まれた問いは何がありましたか?」
その問いをシェアしていただければと思います。

(コメント)
『今、自分は何を感じてる?』
『誰のための問いなのか?』
『問いのたて方』
だから「問いにはどのようなたて方があるか?」とか、そういう感じですかね。

『評価との付き合い方』
『あなたが本当に言いたいことはなんですか?』
『豊かな経験をどのように生み出しますか?』
『評価から解き放つしつもんとは何か?』
『自分が本当に感じていることは何か?』
『今日の学びを仲間にシェアすることによって、どんな具体的活動に生かすことができるか?』
『幸せに生きるとは?』

ふじしー:いいですね。アンディ。これやっぱり。問いをシェアするっていうのは。

アンディ:なんか、どれも考えたくなるね!

ふじしー:これ、みんなの問いを持ちよってなんかこうまた別でね。今回は僕とアンディしか顔が見えない形だったからちょっとね、申し訳ないなっていう気持ちがあったから、問いを持ちよって学びの場をつくるということもやってみたいな。

アンディ:確かに。

ふじしー:アンディはこの時間いかがでしたか?
問いが生まれた瞬間があるとすれば、それはどんな問いでしたか?

アンディ:やっぱりふじしーから聞いてもらったことで「私の探究は何か?」っていうことかな。「私は今、何を探究しているのか?」とか「私の探究は何か?」ということ。

自分がそんな風に生きていないと、誰かの探究のそばにはいられないなぁ。と改めて思いました。

ふじしー:おおーーー。ぜひ最後に、アンディからもし他にもメッセージがあったら教えてほしいんですけど、何か言い残したことありますか?

アンディ:休みの日の朝から、何かここに自分の学びがあるかもしれないっていう風に集まって、そういう私たちだから未来は大丈夫だと。

ふたり:笑笑

アンディ:そうやって迷いながらやっていけば絶対大丈夫だという、ちょっとした楽観みたいなのはあります。

ふじしー:よかった。今は県外への移動とかもなかなかできないし、直接お話を伺うってことも難しい時期だけど、もうちょっと良くなって、アンディたちもより学校が安心してオープンできる状況になったら、今日参加の皆さんとアンディの所に押しかけて「最近はどうですか?」って、みんなで行けたらいいなってすごく思ってます。

アンディ:本当に、生の葛藤とか苦悩をまたみんなに聞いてもらえるのが楽しみです。

ふじしー:では、今日はアンディも言ってましたが、休みの朝の時間にご参加いただき、ありがとうございました。僕たち自身も、毎年行っているしつもんの研修で、どのようにすれば皆さんとより良い形で作っていけるかということを考えて、実践した第1回目ではありましたが、こうやってご参加いただきとても嬉しく思っています。

今後、毎月開催したいなと思っていて、次回は9月27日に僕が今半分住んでいる海士町(あまちょう)、隠岐諸島海士町の、島前(どうぜん)高校の学校経営補佐官の大野さん、大野佳祐さんをお招きして、9月27日19時から20時半で開催したいと思ってますので、もしご都合つくかたはご一緒していただけたらとても嬉しいです。

この学校も10年前廃校になる寸前だったところからV字回復して、今は島外の子どもたち含め300人以上の子どもたちが通っている、どちらかというと、さっきアンディの話であった課題先進地みたいなところの学校で、また違ったおもしろい話が聞けるんじゃないかと思っております。

また、今日この後メールで今日の振り返りが進むようなしつもんと、次回のご案内もさせていただきますので、メールをご覧いただければと思います。

では、長い時間ありがとうございました。またお忙しい中ご参加いただいてありがとうございます。これからも、こうやって、アンディも言ってましたが、一緒に「探究ってなんだろうね」っていうことを、僕たちが答えを伝えるんじゃなくて、一緒に考えられるような関係を皆さんと作っていけたらと思ってますので、末永く一緒にお付き合いいただけたら、とっても嬉しいなと思います。

では、お忙しい中、ご参加いただきありがとうございました。

アンディ:ありがとうございました。

 

あとがき

 
ふたりから発せられる純粋でリアルな言葉が心地よく、あっという間の90分でした。「探究」を本質的に捉えるための視点があちこちに散りばめられていて、正解は語られないけれど不安はなく、どこかワクワクしながら聴き入る私がいました。そうか、この感じが「探究」なのか!と妙に納得しながら、森の中を探検しているような感覚でどんどん奥に奥にと引き込まれ、、トークが終わったあとすぐにまた「もう1回見たい!!」という気持ちになったのがとても印象的でした。

皆さんそれぞれの現場で、真ん中におきたいことを再確認し、大切にしたいことを大切にするための新しい視点やヒントが見つかる、そんな対談だったように感じます。
豊かに探索し、そばにより添い、共に探究し続ける私たち大人の姿が子どもたちにどんな影響を届けてゆくのか?今、そこに希望を感じられていることが、とてもしあわせです。(高橋香織)

 
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